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高知地方裁判所 昭和46年(ワ)79号 判決

原告 平井光輝

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 藤原充子

被告 若槻強

右訴訟代理人弁護士 岡林濯水

同 西村寛

主文

被告は原告平井光輝に対し金一、九三〇、〇〇〇円および内金一、七五〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告平井佐代に対し金一、六五〇、〇〇〇円および内金一、五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告古味信義に対し金二八〇、〇〇〇円および内金二五〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告古味ヨシナロに対し金二八〇、〇〇〇円および内金二五〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

1、被告は原告平井光輝に対し金二、四九〇、〇〇〇円および内金二、二五〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2、被告は原告平井佐代に対し金二、二四〇、〇〇〇円および内金二、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3、被告は原告古味信義に対し金五六〇、〇〇〇円および内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4、被告は原告古味ヨシナロに対し金五六〇、〇〇〇円および内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四六年一月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

5、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

1、原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

2、訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1、(一) 被告は、高知県高岡郡越知町越知甲一、七二五番地一において、若槻産婦人科医院を開業する産婦人科医師である。

(二) 訴外平井留子(以下単に留子という。)は、昭和四六年一月二日午後五時前記若槻産婦人科医院において、子宮外妊娠破裂により死亡した。

(三) 原告平井光輝は留子の夫、原告平井佐代は留子の長女、原告古味信義は留子の実父、原告古味ヨシナロは留子の実母である。

2、債務不履行による責任

(一)(1) 留子は、昭和四五年一二月四日、二週間余の月経遅延と腹部膨満感により妊娠と思い、被告に診療を求め、病的症状の医学的解明および異常に対する治療行為を継続的に依頼し、被告はこれを承諾し、右両者間に診療契約が成立した。

(2) 医師の診療契約の最も重要な内容は、医師の診察とその結果としての病気の診断および治療行為である。そして、その専門的知識、経験を基礎として、その当時における医学の水準に照らして、当然かつ十分な診察、治療行為をなすべきであり、受任者たる医師は、診療契約の本旨に従い、善良なる管理者の注意義務をもって、良心的な医療行為を処理すべき債務を負っているのである。

被告と留子との間に成立した右診療契約の具体的債務の内容は、産婦人科専門医としての被告が、子宮内妊娠であるか、流早産であるか、その時期、種類、その原因等を診断し、その決定により適正かつ十分な治療方針をたて、人体に侵蝕を生ぜしめる等の突発的危険状態の発生を防止すべき治療、手術等をなすべきことにあるのである。

(二) ところが、被告は昭和四五年一二月二六日前記債務の本旨に従った履行を怠った。

(1) すなわち、留子は、妊娠したのではないかと思い、同月四日被告の診察を受けた。被告は、問診、内診により「最終月経は一〇月二一日から三日間あったが、無月経が続いている。子宮体は前傾、前屈、子宮体の大きさはやや増大して硬さはやや柔い。子宮体は可動的で圧痛はない。」と診断し、ゴナビス反応とプレグノスチコンプラノテストの検査をした。その結果ゴナビス反応はマイナス、プレグノスチコンプラノテストはプラス・マイナスであった。そこで、この段階においては一つは妊娠ではないということ、他は妊娠ではあるがまだ反応が陽性になっていないということの二つの解釈が可能であり、かつ子宮外妊娠の疑も全然ないとは言えないものであった。その理由は、この時期が妊娠七週にあたるのに、子宮体の大きさが普通の妊娠より少し小さいのではないかという疑があったからである。ところが、被告は留子に対し一般的に子宮外妊娠のことを話したにすぎず、具体的に子宮外妊娠の処置等を指示しなかったのである。

(2) 次いで留子は被告の指示により同月一二日被告の診察を受けた。被告は「無月経が続いている。子宮体は前傾で前屈。子宮体がやや増大していて、硬さはまず正常である。部分的につきたての餠を押える柔さがある。子宮体は可動的で圧痛はない。両側の附属器には所見がない。子宮頸部に糜爛はない。膣分泌物は白色で正常。」と診断し、プレグノスチコンプラノテストの検査をした。右検査の結果はマイナスであったが、このこととこの段階においても子宮の大きさが前回と同様変っておらず硬さもほぼ正常ということで、子宮内に現在正常な姿で妊娠が継続しているという印象は受けられないものであった。そこで前回の診断結果と総合すると、一つは始めから妊娠ではないということ、二つは妊娠であったけれども早期に子宮内へ流産し胎児が変性しているということ、三つは子宮外妊娠の疑もあるということの三つの解釈をなし得るのである。従って、被告としては右に述べた三つの可能性を考慮すべきであり、しかもどの可能性についてもとるべき措置がないわけではないのに、被告は前記妊娠反応の検査をしたのみで留子を帰宅させたのである。

(3) 留子は同月二六日三度被告の診察を求めた。被告は「無月経が続いている。約三、四日前からむかつき、食欲不振が表われてきた。子宮体は前傾、前屈。子宮体の大きさはやや増大、硬さは部分的に餠様に柔い、可動的で圧痛なし。子宮体附属器は異常なし。子宮頸部には糜爛なし。分泌物は少量で白色。妊娠初期。現在の子宮体の大きさより正常な子宮体内の妊娠であると考えるならば、最終月経が一一月一〇日から一五日頃の可能性がある。今後経過観察のこと。」と診断し、ゴナビス反応とダグラス窩穿刺の検査をした。右ゴナビス反応の結果妊娠反応がプラスに出たので、妊娠は間違いないということになった。しかし、子宮体の大きさが最終月経から計算した妊娠期間相当のものよりも小さく、正常な妊娠ではないという疑があり、前回の診察時に比し子宮外妊娠の疑は強くなったわけである。従って、被告としては子宮外妊娠の可能性を強く疑い、外妊検査を十分に施行すべきであった。

ところで、留子は、昭和四五年一月二九日被告の診察により切迫流産と診断され治療を受けた経過もあって、正常妊娠であるかどうかについて極めて神経質であり、同年一二月二六日の診察の際被告に対し子宮外妊娠の心配はないかどうかを尋ねた。そこで被告は、念のためと留子を安心させるためダグラス窩穿刺を実施した。その結果はマイナスであった。しかし、ダグラス窩穿刺は、腹腔内貯溜液の有無を証明する手段であって、子宮外妊娠の補助診断法にすぎない。従って、ダグラス窩穿刺のみで子宮外妊娠の確定判断は困難であるから、入院させて血液検査、フリードマン反応、卵管造影、内膜の組織像検査を速かに施行して、診断の確定につとめ、特に両側卵管の状態を詳診すべきである。また確定診断がつきかねる場合は、問診に注意し、子宮膣部やダグラス痛、腰かけ痛に注意し、ダグラス窩穿刺や膣式開腹で診断を確定し、早く処置しなければならない。

ところが、専門医たる被告は、昭和四五年一二月二六日、前記ダグラス窩穿刺を行なったのみで、前述した債務の本旨に従った履行を完全にしなかったことにより、子宮外妊娠の発見を遅らせ、留子をして昭和四六年一月二日子宮外妊娠破裂による出血死に至らしめた。

3、不法行為による責任

被告に債務不履行による責任がないとすれば、原告らは予備的に不法行為に基づく損害賠償の請求をする。

医師の患者に対する診断、治療は、(一)現在の症状に関する既往歴およびそれ以前の一般的既往歴の問診、(二)現症の聴取、観察、一般的考察、検査、(三)類症との鑑別、診断、疑診の決定、(四)これらの判断に基づく当面の処置、(五)根本的、病因的治療手段の考慮と実施という形で進行する。

しかして、被告が留子を診察した経緯は前叙のとおりである。被告は、昭和四五年一二月四日、妊娠ではないかという疑のもとに留子を問診、内診して妊娠初期(七ないし八週位)と診断した。しかしその際にも子宮外妊娠の疑の可能性があったにもかかわらず、具体的処置を怠った。次いで同月一二日正常な姿で妊娠が継続していないという状態で、子宮外妊娠の疑もないことはなかったにもかかわらず、妊娠反応検査を施行しただけである。さらに同月二六日留子が三度被告の診察を求めた際、被告は、ゴナビス反応検査とダグラス窩穿刺を施行し、妊娠二ヶ月と診断し、同月四日の妊娠初期との診断を変更し、無月経の状態は月経が不順であり、一一月五日から一〇日の間に妊娠したと推定した。

しかしながら、被告の記載した診療録によれば、一二月四日の診断では「子宮体の大きさはやや増大」、同月一二日の診断でも「子宮体がやや増大」、同月二六日の診断においても「子宮体の大きさはやや増大」となっており、最終月経から計算した妊娠期間に相応した子宮体の発育が認められてはいないのである。

そこで、被告としては、一二月二六日の段階において、妊娠反応が第一回目プラス・マイナス、第二回目マイナス、第三回目プラスとなっても、無月経と右症状と診断の経過とを総合すれば、当然異常妊娠を疑い、子宮外妊娠は往々にして誤診するケースが多いのであるから、子宮外妊娠の可能性の有無について、精細な内診の施行と補助診断法の活用により確定診断につとめるべき注意義務があったのである。しかるに、被告は同月二六日留子を安心させるためにダグラス窩穿刺を施行しただけで、他の外妊検査をしていない。しかしながら、ダグラス窩穿刺の結果がマイナスであったとしても、それのみで子宮外妊娠でないとの確定診断は困難であるから、被告は留子を入院させて血液検査、フリードマン反応、卵管造影、内膜の組織像検査を速かに施行して、診断の確定につとめ、特に両側卵管の状態を詳診すべきであり、また確定診断がつきかねる場合は問診に注意し、子宮膣部やダグラス痛、腰かけ痛に注意し、ダグラス窩穿刺や膣式開腹で診断を確定して早く処置すべきであったのに、被告はこれらの措置をとらなかった。

要するに、被告の留子に対する診断、治療の方針は、子宮外妊娠を疑わなかったことにあり、一二月二六日において適正かつ十分な外妊検査を怠ったために誤診し、開腹手術その他医学上の適切な措置を怠り、昭和四六年一月二日留子に子宮外妊娠破裂によるショックを招来せしめ、遂に同人を死亡するに至らしめたのである。

よって、被告の診療行為には過失があり、留子の死亡は被告の右過失行為に起因するものである。

4、原告らの損害

(一) 葬儀費用

原告平井光輝は、留子の急死により通夜、葬儀等の費用として金二五〇、〇〇〇円を支払った。

(二) 慰藉料

(1) 原告平井光輝の分

原告平井光輝(昭和一六年一〇月二七日生)と留子(昭和一七年一二月二日生)は、昭和四一年六月三日婚姻し、昭和四二年二月二七日原告平井佐代を儲け、円満な家庭生活を営んでいた。ところで、留子が昭和四五年一一月二〇日頃にあるべき生理がなかったので、原告平井光輝は同年一二月四日留子とともに被告に診断を求めたところ、子宮外妊娠のおそれがあるから注意するよう指示を受け、同月一二日再診を求めると妊卵は子宮内で死滅変性していると言われたが、同月二六日三度診察を求めたところ、胎児は順調に成長しているから安静にした方がよいとの診断であった。原告平井光輝は被告を信頼し留子に他の専門医の診断を求めさせることもなく、ひたすら次子の出生に期待をしていたところ、昭和四六年一月二日妻留子を子宮外妊娠破裂で失った。原告平井光輝としては、婚姻後五年足らずで建築請負業、バーの経営等漸く事業も軌道に乗り、経済的にも家庭的にも落着いてきた矢先のことであり、妻留子を突然失ったことにより蒙った同原告の精神的苦痛は甚大なものがある。従って、原告平井光輝の右精神的苦痛に対する慰藉料は金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(2) 原告平井佐代の分

原告平井佐代は昭和四二年二月二七日原告平井光輝と留子の長女として出生した。留子は原告平井佐代の養育のため家庭のみにあって家事、育児等に専念していた。同原告が前記のような実母留子の突然の死亡によって蒙った精神的苦痛は、生涯消えることがない程甚大なものがある。従って、原告平井佐代の右精神的苦痛に対する慰藉料は金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(3) 原告古味信義および同古味ヨシナロの分

原告古味信義および同古味ヨシナロは留子の実父母であって、近村に居住し農業を営んでいる。右原告両名は、留子が妊娠したと聞き孫の誕生を期待していた矢先、前記のように子宮外妊娠破裂で留子に先立たれたのであって、これにより蒙った精神的苦痛は多大なものがある。従って、原告古味信義および同古味ヨシナロの右精神的苦痛に対する慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告らは、昭和四六年二月一五日、本件損害賠償請求手続を弁護士藤原充子に委任し、着手金として原告平井光輝および同平井佐代は各金四〇、〇〇〇円を、原告古味信義および同古味ヨシナロは各金一〇、〇〇〇円を支払い、かつ第一審判決後成功報酬として認容額の一割(原告平井光輝および同平井佐代は各金二〇〇、〇〇〇円、原告古味信義および同古味ヨシナロは各金五〇、〇〇〇円)を支払う旨約束した。しかして、右弁護士費用は、被告が原告らの賠償請求を不当に争うことにより原告らの蒙った損害である。

5、よって、被告に対し、原告平井光輝は前記葬儀費用金二五〇、〇〇〇円、慰藉料金二、〇〇〇、〇〇〇円と弁護士費用金二四〇、〇〇〇円の合計金二、四九〇、〇〇〇円および右金額から弁護士費用額を控除した金二、二五〇、〇〇〇円に対する遅滞に陥った日である昭和四六年一月二日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告平井佐代は前記慰藉料金二、〇〇〇、〇〇〇円と弁護士費用金二四〇、〇〇〇円の合計金二、二四〇、〇〇〇円および右金額から弁護士費用額を控除した金二、〇〇〇、〇〇〇円に対する前同日以降完済に至るまで前同率の割合による遅延損害金の、原告古味信義および同古味ヨシナロは各前記慰藉料金五〇〇、〇〇〇円と弁護士費用金六〇、〇〇〇円の合計金五六〇、〇〇〇円および右金額から弁護士費用額を控除した金五〇〇、〇〇〇円に対する前同日以降完済に至るまで前同率の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

請求原因1の(一)記載の事実は認める。

同1の(二)記載の事実中、留子が昭和四六年一月二日午後五時死亡したことは認めるが、死因および死亡の場所の点は知らない。

同1の(三)記載の事実は知らない。

同2の(一)記載の事実中、留子と被告との間に原告ら主張の診療契約が成立したことは認める。

同2の(二)記載の事実中、留子が原告ら主張の各日に若槻産婦人科医院に来院し、被告が留子を診察したこと、昭和四五年一二月四日の診療の際ゴナビス反応とプレグノスチコンプラノテストの検査を施行し、その結果ゴナビス反応はマイナス、プレグノスチコンプラノテストはプラス・マイナスであったこと、同月一二日の診療の際プレグノスチコンプラノテストの検査を施行したところその結果はマイナスであったこと、および同月二六日の診療の際ゴナビス反応検査とダグラス窩穿刺を施行したところ、その結果はゴナビス反応がプラス、ダグラス窩穿刺はマイナスであったことは認めるが、その余の事実は否認する。

同3記載の事実中、被告の診察医療行為に過失があり、それが原因となって留子が死亡したとの点は否認する。

同4記載の事実は知らない。

三、被告の主張

1、被告が留子を診察治療した経過は次に述べるとおりである。

昭和四五年一二月四日留子が被告の医院に診察のため来院した。その際留子は同年一〇月二一日から三日間月経があり、その後月経がないので妊娠の有無を診察せられたいとのことであった。被告は診察したが、妊娠子宮の所見は異常がなく、ゴナビス反応の結果はマイナスでありプレグノスチコンプラノテストの結果はプラス・マイナスであった。被告は、留子に対し、妊娠の有無は断定を下せない、プレグノスチコンプラノテストの結果がプラス・マイナスであるからごく初期の妊娠であるから知れないので、様子を見るから一週間後に来院せよと指示した。その際留子は「昭和四五年二月一六日流産したことがあるが、もし妊娠しておるとすれば再度流産するおそれがあるか。」と尋ねたので、被告は、それに対し、不正性器出血、下腹痛等の症状があるときは流産(切迫流産)ということもあり、極めて稀に子宮外妊娠ということもあるが、現在の診察の結果では異常所見は認められないから経過を見るように指示した。右のことを原告らは子宮外妊娠の疑があると被告が診断したように主張するが、被告は「子宮外妊娠ということもある。」と言ったのであり「子宮外妊娠の疑がある。」とは言わなかったのであって、その時点において子宮外妊娠の疑があるとの診断は如何なる医師でも診断し得ないことである。

留子が同月一二日再度来院したので被告が診察したところ、その際の内診所見では、妊娠の徴候は認められずまた子宮附属器その他にも異常はなかったが、プレグノスチコンプラノテストの結果がマイナスのため現在妊娠ではなく月経不順と考えられるが、前回診察時施行したプレグノスチコンプラノテストの結果がプラス・マイナスであったから、もしその時点でごく初期の妊娠であったとすれば、ごく初期の妊娠中絶と考えられ、そのうちに不正性器出血等の異常が起るであろうし、不順のときは月経が来るものと診断し、その旨専門外の素人である留子に告げ、様子を見て再度来院するよう指示した。

留子が同月二六日三度来院したので、被告は留子を診察した。その際留子は「その後出血もなく月経もなく特に変ったことはないけれども、三、四日前頃から食欲がないように思うし悪心等の悪阻症状があるように思うが、妊娠ではなかろうか。」と訴えた。被告は直ちに内診を行ったが、その結果子宮がかすかに増大しており硬さにおいて妊娠初期の疑があるけれども、断定は下せず、また子宮附属器その他に異常のないことを認めたが、ゴナビス反応の検査の結果がプラスであったため現在妊娠初期であろうと診断した。そこで留子に右診断の結果を告げその旨を説明した。その時留子は前記一二月四日に被告が子宮外妊娠ということも稀にあると言ったことを気にして、現在出血等の変った症状はないが子宮外妊娠ではないかと問うので、被告は現時点の診察の結果では子宮外妊娠等の異常所見はないが念のためダグラス窩穿刺をして診断してみることを留子に告げ、さらに診察した。その結果腹腔内出血その他異常所見が認められなかった。そこで、被告は留子に対し現在その心配はないが、もし出血、下腹痛等の異常を感じたときは直ちに来院するよう、または異常がなければ二週間後に来院するよう指示した。

なお、昭和四六年一月二日午後五時頃訴外片岡徹医師が付添って高知市民病院で診察を受けるため出向途中、留子の容態が急変し、子宮外妊娠破裂であると言って来院した。被告は直ちに診察したが、留子は既に死亡していて、その死因が子宮外妊娠破裂であるか否か不明であった。右片岡医師の死亡診断には疑義がある。

2、ところで、診療契約に基く被告の債務の具体的内容が抽象的には原告主張のとおりであるとしても、具体的な個々の医療行為において、患者の生体に発生する突発的危険状態の発生を未然に防止する治療行為まで具体的に債務の内容とすることはできない。有機的に関連する人体の機関は、如何なる連鎖反応を惹起し如何なる突発的危険状態が発生するか、現代医学の水準においてはその診断が不可能であることは、幾多の事例に徴し公知の事実である。ただ医師は時々刻々に変化する患者の容態を診療しながら、現代医学の水準に基き当然なすべき診断治療行為を善良なる管理者の注意義務をもって良心的に行えば、債務を完全に履行したものと言わなければならない。複雑微妙な生物体の治療行為という特殊な行為である以上、結果がどのように発生するかは予断を許さないので、結果についてまで責任を医師に負担せしめることはできない。突発的危険状態の発生による結果をとらえて債務不履行または不法行為と主張することは、診察治療行為という極めて複雑微妙な債務を負担する医師に不能を強いるものである。

留子の死亡は気の毒ではあるが、その死亡原因が子宮外妊娠破裂であるとしても、それは留子が交通不便な山間部落の居住者であり、突発的危険状態が発生しても直ちに専門医の治療手術等の治療行為ができない状態にあったため、不幸な結果が発生したものである。もし留子が高知市内かまたは被告の住所地である越知町に居住していてこの事態が発生したとすれば、恐らくはこのような結果にならなかったものと推定される。また、留子は昭和四六年一月二日午前中に下腹痛があったから、被告がかねて注意しているとおり直ちに被告の診断を求めれば、不幸な結果を招来しなかったものと推断されるのである。

3、被告は、留子の診断治療にあたっては、前述したように、現代医学の水準に基き当然なすべき診断治療行為を、善良なる管理者の注意をもって良心的に行いながら容態の変化を注意していたものであって、原告らの主張するような被告の責に帰すべき注意義務の懈怠は存しない。

四、右主張に対する原告らの答弁

被告の主張を争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、被告が高知県高岡郡越知町越知甲一、七二五番地一において若槻産婦人科医院を開業する産婦人科医師であることは当事者間に争いがない。

次に、訴外留子が昭和四六年一月二日午後五時死亡したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、留子の死因は子宮外妊娠破裂であり、死亡の場所は高知県高岡郡越知町越知甲一、七二五番地一若槻産婦人科医院診療室であることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、≪証拠省略≫によれば、原告平井光輝は留子の夫、原告平井佐代は留子の長女、原告古味信義および同古味ヨシナロは留子の実父母であることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二、そこで先ず原告らの主位的請求(債務不履行による責任)の当否につき検討する。

1、留子が、昭和四五年一二月四日、二週間余の月経遅延と腰部膨満感により妊娠と思い、被告に診療を求め、病的症状の医学的解明および異常に対する治療行為を継続的に依頼し、被告がこれを承諾し、右両者間に診療契約が成立したことは、当事者間に争いがない。

ところで、留子と被告との間の右診療契約は、被告が留子の症状の医学的解明をなし、妊娠が子宮内に成立したか子宮外妊娠かの診定やさらに胎児の生死、胞状奇胎などの異常妊娠の鑑別をし、その病的症状に従い治療行為を施すことを内容とする準委任契約であると解するのが相当であり、被告は右債務の本旨に従い善良なる管理者の注意義務をもってその債務を履行すべき義務がある。

2、ところで、原告らは被告が前記債務を不完全に履行し前記注意義務を懈怠したと主張し、被告はその債務の履行に欠けるところはなく留子の死亡は被告の責に帰すべからざる事由によると抗争するので、以下この点につき判断する。

(一)  留子が昭和四五年一二月四日、同月一二日および同月二六日に前記若槻産婦人科医院に赴き被告の診療を受けたこと、および右各診療を受けた日に被告が原告ら主張のような妊娠反応検査やダグラス窩穿刺を行い、その検査等の結果がいずれも原告ら主張のとおりであることは、当事者間に争いがなく、これらの事実に≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(1) 留子は、昭和四五年一二月初頃妊娠の徴候を感じ、同月四日前記若槻産婦人科医院に赴き、最終月経が同年一〇月二一日から三日間あった後無月経であるので妊娠しているのではないであろうかということで、産婦人科医師である被告の診察を求めた。そこで、被告は、最終月経がいつからいつまであったか、その後の状態例えば悪阻症状の有無、乳房の変化の有無等につき問診をしたところ、月経は順調であり、最終月経は前記のとおり一〇月二一日から三日間あったが、悪阻症状、下腹痛、不正性器出血等はいずれもなく、無月経であることが留子の主張であった。次いで被告は内診をしたところ「子宮体は前傾、前屈であり、子宮体の大きさはやや増大し硬さはやや柔く、子宮体は可動性で圧痛がなく、子宮附属器は両側とも所見がなく、子宮膣部に糜爛はなく、膣分泌物は少量で白色である。」との所見を得た。右内診所見では未だ妊娠と断定できないので、被告は、妊娠反応検査として先ずプレグノスチコンプラノテストを施行したがその結果はプラス・マイナスであったので、さらにゴナビス反応を行ったところその結果はマイナスであった。そこで、被告は、右内診所見ならびに妊娠反応検査の結果に基き、留子に対し、現時点では未だ妊娠が成立しているということをはっきり言えないと告げた。そうすると留子が「もし妊娠の初期であるとすれば、同年二月に流産をしているが、再度流産をするようなことはないであろうか。」と尋ねるので、被告は「勿論流産ということもあり得ることだし、一回流産していると流産を繰り返すこともあるが、必ずしも流産ばかりとは限らない。無月経であって不正性器出血がある場合などは切迫流産ということもあるし、稀には子宮外妊娠ということもあり、また胞状奇胎というような種々の場合があるから気を付けねばならない。」と答えた。そして、被告は、もし妊娠が成立しておれば、一週間位経過すれば多少は子宮体が増大し内診所見からしても妊娠が判明するし、妊娠反応検査も陽性に出るかも知れないので、妊娠か否かを確定するため、留子に対し同月一二日来院するよう告げて、留子を帰宅させた。

(2) 昭和四五年一二月一二日留子は被告の指示に従い前記若槻産婦人科医院に赴き、被告の診療を求めた。そのときも留子は依然として無月経が続いていることを訴えていた。ところで、被告が内診をした結果「子宮体はやや増大していて硬さはまず正常(餠状の硬さがないという意味)であり、子宮附属器には異常がなく、子宮膣部に糜爛はなく、膣分泌物は白色で漿液性の帯下(出血なく正常に近いおりもの)である。」との所見を得た。右内診の結果は前回診察時に比し妊娠を思わせるような所見ではなかったのであるが、被告が念のため妊娠反応検査としてプレグノスチコンプラノテストを施行したところ、その検査結果はマイナスであった。そこで、被告は、留子に対し、右内診所見および妊娠反応検査の結果からみて、現時点では未だ妊娠の断定はできない、むしろ月経が不順に近いのではなかろうかと告げた。そうすると、留子が「前回施行したプレグノスチコンプラノテストの結果がプラス・マイナスということから、もしごく初期の妊娠であったということが考えられたらどうなるのか。」と尋ねるので、被告は「そのような事態があったとすれば、当然今回の検査の結果がマイナスに出ているのであるから、妊卵は変性あるいは吸収されて死滅したかもわからないし、早晩流産するかもわからないし、もし月経不順ということであれば次の月経として排出されるであろう。なお、妊卵が死滅して変性を来たしたときは不全流産といって性器出血を起すので、その場合は内膜掻爬の手術をしなければならない。」と説明し、現時点では異常がないから経過を見ることとし、不正性器出血をしたときは来院するよう留子に告げ、留子を帰宅させた。

(3) 昭和四五年一二月二六日留子は三度前記若槻産婦人科医院を訪れ、被告の診察を求めた。当日留子は、被告に対し、被告の指示に従い経過を見ていたが依然として無月経が続き、性器出血もないが、三、四日前からむかつきがあり食欲不振となり悪阻症状が感じられると訴え、妊娠しているのではなかろうかと言うので、被告が内診すると「子宮体は前傾、前屈で、子宮体の大きさはやや増大し硬さは部分的に餠様に柔かく可動性で圧痛なく、子宮附属器には異常がなく、子宮膣部に糜爛はなく、膣分泌物は少量で白色である。」との所見を得た。被告は、右内診所見によりはじめて妊娠初期であるかもしれないという疑を持ち、妊娠反応検査としてゴナビス反応を施行したところ、その結果はプラスであった。そこで、被告は右内診所見および妊娠反応検査の結果により、留子が妊娠初期であるとの確定診断に到達した。そして、被告は、右内診により知覚した子宮体の大きさからして、正常な子宮体内の妊娠であるとすれば最終月経が一一月一〇日から一五日頃の可能性があると判断し、爾後経過観察をすることとした。被告が留子に対し右内診所見、妊娠反応検査の結果および妊娠初期である旨の診断等につき説明したところ、留子は非常に喜んだが、その際留子が「かつて流産をしたが、前回診察時被告から下腹痛や性器出血があった場合には流産や子宮外妊娠もあり得るとの説明を聞いているが、子宮外妊娠の心配はないであろうか。」と言ったので、被告は、前回診察した際留子にさほど子宮外妊娠の疑があると告げたわけではなかったけれども、留子が懸念しているので、念のためダグラス窩穿刺をしたが、血液の吸引はなく少量の黄色の腹水の吸引があったのみで、その結果がマイナスであったので、留子に現時点において子宮外妊娠を思わせるような徴候は見当らない旨告げ、今後不正性器出血や下腹痛があったときは直ちに来院するよう注意を与え、留子を帰宅させた。

(4) ところで、昭和四六年一月二日、留子は夫である原告平井光輝、長女である原告平井佐代らとともに年賀のため原告平井光輝の実家を訪問することになり自宅を出たが、その途中同日午前一〇時頃高知県高岡郡仁淀村森の原告平井光輝の実姉である訴外平井歩三方に、また同日午前一一時頃同村別枝六〇六番地の原告平井光輝の実姉である訴外岸本ツユ子方にも立ち寄り、同日正午頃右岸本ツユ子夫婦とも連れ立って前記原告平井光輝の実家へ赴こうとしたが、その時急に留子が下腹部を押え気分が悪いと訴え、右岸本ツユ子方の縁側に踞り苦痛に堪えかねる体であったので、その場にいた原告平井光輝らは直ちに岸本ツユ子方の座敷に留子を移し介抱する一方、医師の往診を求めるため彼方此方の病院へ電話連絡をしたが、正月のこととて医師が不在という事情もあって手間取り、漸く仁淀村森所在の片岡医院の医師片岡徹の往診を求めることができた。片岡医師が迎えの自動車で右岸本ツユ子方に到着したのは同日午後二時頃であったが、その間留子は顔面蒼白となり苦悶の状を表わし、岸本ツユ子外一名が留子の両腕を握り、すぐに医師が来てくれるからしっかりするようにと留子に励ましの声をかけながら、右片岡医師の到着を待ちかねた。片岡医師は岸本ツユ子方に到着するや直ちに留子を診察したが、既に留子は顔面蒼白で苦悶状態を呈し、脈搏が触れず、血圧の測定も不能で、右下腹部に圧痛があり腹部がやや膨満状を呈し、悪心、嘔吐があってショック状態であった。片岡医師は、留子が眼瞼結膜も蒼白で貧血状態であるし、また留子の家族から留子が妊娠の宣言を受けていたということを聞き、子宮外妊娠破裂に起因する動脈性出血であると判断した。片岡医師は、止血剤、強心剤を施用し応急の措置をとったが、子宮外妊娠破裂である以上開腹手術をして出血箇所の止血をする以外に回復の見込みがないので、それ相当の病院に留子を転送し手術をしなければ生命をとりとめることはできないと考え、最初にこれまで留子が診療を受けていた若槻産婦人科医院へ電話で連絡したが、たまたまその時被告が不在であって連絡がとれず、次いで高知市民病院に電話して漸く連絡がとれた。そこで、同日午後三時過ぎ頃、留子を自動車に乗せ片岡医師、原告平井光輝、訴外平井歩三らが附添い高知市民病院へ向って出発したのであるが、途中仁淀村寺村附近で留子の容態が急変しかけたので停車し、片岡医師が強心剤の注射をし危険状態を一先ず避けさらに出発したけれども、越知町越知に入る手前で再び留子の容態が急変するに至った。片岡医師は、これ以上高知市民病院へ留子を連れて行く余裕はないと考え、とりあえず最寄りの病院へ留子を運べば酸素呼吸や補液等を施し留子の右症状を改善できるかも知れないと考え、前記若槻産婦人科医院へ留子を運び入れた。そしてその時刻は同日午後五時前頃であった。右若槻産婦人科医院の診療室へ留子を運び入れたとき、留子の状態は死亡と判断さるべきものであったが、片岡医師は懸命に酸素呼吸や応急の人工呼吸を施したけれども、その甲斐なく遂に留子は死亡するに至った。なお、その頃急を聞いて被告が右診療室へ来たが、留子は既に死亡していて被告としては手の施しようもなかった。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(二)  ≪証拠省略≫によれば、子宮外妊娠は受精卵が子宮体部以外の場所に着床して発育する場合をいうのであるが、その大部分は卵管妊娠で稀に卵巣・腹膜・子宮頸管妊娠もあること、子宮外妊娠は時がたてば必ず流産または破裂を起すものであり、二三ヶ月無月経が続き正常妊娠と同様に悪阻などがあって妊娠と考えられるような時期に起るのが普通であり、また予定月経前に起ることもあるが、妊娠中絶すなわち流産や破裂をしたような定型的な場合は、疼痛が激烈であり、下腹部の穿刺性疼痛のため失神し鎮痛剤の注射も効果のないことが屡であり、内出血も多くて貧血症状および腹膜刺戟性症状としての嘔気、嘔吐、顔面蒼白、呼吸浅薄、脈搏頻数等の症状が著明であってその診断は比較的つきやすいけれども、中絶前や慢性型のいわゆる非定型的な子宮外妊娠は、一般に患者自身も大して異常に気付かず推移する場合が多く、破裂前流産前の診断は難しいというのが一般の見解とされているところであり、その理由としては、中絶前や慢性型の子宮外妊娠の場合は、確実迅速な診断法がなく医師個人の内診手技をも含めた勘に頼ることが多いからであるとされていること、そして、このようなことから誤診が発生し、診断がつきかねないまま時期を失し患者をショックに追い込むことが往々にしてあること、従って、産婦人科専門医が子宮外妊娠の早期確診に到達するためには、問診、内診手技、現症の適確な把握など地道な努力を重ねるほか方法がないものであることが認められる。

(三)  ところで、≪証拠省略≫によれば、昭和四五年一二月四日被告が行ったゴナビス反応の結果はマイナスであり、プレグノスチコンプラノテストの結果がプラス・マイナスであるが、これらの妊娠反応の検査の結果からは、留子が妊娠していないということと、妊娠してはいるがこの時点では未だ反応が陽性になっていないということの二つの解釈が可能であること、なおこの日の診療録の記載からみて子宮外妊娠の疑が全然ないということは言えないこと、その理由は、この時期に妊娠が成立しているとすれば妊娠期間は七週位になるわけであり、そうすると右妊娠期間に比し子宮体の大きさが小さいこと、次に同月一二日の前記内診所見および妊娠反応検査の結果からは、前同様留子が妊娠していないということであるが、あるいは妊娠しているけれども反応が陽性に出るだけの条件になってないという二つの解釈が可能であること、そして、同月一二日の段階で前回の診察の結果とも併せ考えるとき、医師としては、留子がはじめから妊娠していない、妊娠ではあったけれども早期い流産し子宮内で胎児が変性している、子宮外妊娠の疑がある、という三つの可能性を考えることができること、さらに同月二六日の前記内診所見と妊娠反応検査の結果からみれば、この時点で妊娠反応が陽性であるから妊娠であることはほぼ間違いないと考えられるが、子宮体の大きさが依然として最終月経から計算した妊娠期間相応のものより小さいので正常な妊娠でないという印象が抱かれること、そして、同月一二日の時点よりも同月二六日の時点の方が子宮外妊娠の疑が強く考えられることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  しかるに、被告は、前記認定したように昭和四五年一二月四日、同月一二日および同月二六日の三回にわたり留子を診察したのであるが、第三回目の同月二六日の内診所見ならびにゴナビス反応検査の結果がプラスであったことから、妊娠初期との確診に達し、同月四日の初診時に留子から最終月経は同年一〇月二一日から三日間あったがその後無月経であることを聞き、次いで同月一二日の診察日にも依然として無月経が続いていることを聞いたが、これは月経の不順であると考え、同月二六日の時点における子宮体の大きさからして正常な子宮体内の妊娠であるとすれば、最終月経が一一月一〇日から一五日頃の可能性があると判断したもので、その際行ったダグラス窩穿刺の結果がマイナスであったこととも相俟って、留子の子宮外妊娠であることを疑わなかったものである。

しかしながら、ダグラス窩穿刺は子宮外妊娠の補助的診断法の一つであって、ダグラス窩穿刺により血液を吸引した場合は内出血を肯定し子宮外妊娠の根拠となるけれども、子宮外妊娠で内出血があるにもかかわらずダグラス窩穿刺により血液を吸引しない場合(これを偽陰性という)があるので、ダグラス窩穿刺の結果が陰性であることは必ずしも内出血を否定する根拠にならない(このことは≪証拠省略≫により認められる)し、また子宮外妊娠の中絶前の内診所見として、子宮は屡やや大きいが一般に最終月経から計算した妊娠期間に相当した大きさではない(このことは≪証拠省略≫により認められる)のであるから、これらを考慮し前記認定した前後三回にわたる診療に際し被告がなした問診、内診所見諸検査の結果を逐一検討して診断すれば、昭和四五年一二月二六日の診療の段階において、前記認定した診療過程から窺われる留子の症状が無症状に近いものであったが故に、留子が子宮外妊娠で中絶前の状態にあることの確診に達することは困難であったにしても、少くとも留子が子宮外妊娠で中絶前の状態にあることを強く疑い得たものといわなければならない。しかるに、被告は不注意にもこれらの検討を欠き留子が正常妊娠であると誤診したもので、このため中絶前の子宮外妊娠の疑をもってなすべき処置すなわち留子を入院させて観察しながら十分な検査を行なうとか、また入院させないとしても二、三日の短期日毎に通院させて診察しダグラス窩の再穿刺をするなどして子宮外妊娠の確診とその治療につとめるべきことをなし得なかったものである。そして、前記のごとく昭和四六年一月二日正午頃留子に子宮外妊娠の破裂を発来せしめショック症状に陥らしめて遂に死亡するに至らしめたものである。

してみると、被告の右診療行為と留子の死亡との間には相当因果関係があるというべく、また前記診療契約上の債務の履行にあたり被告に責に帰すべき事由がなかったものと認めることはできない。

この点に関し、被告が留子を診察した所見からみて留子に子宮外妊娠を疑って手術をしようと考えることは非常に難しく思うし、普通考えられないと思うとの証人本森良治の証言、ならびに、昭和四五年一二月二六日の段階で留子に外妊の疑が濃厚であるとし、適切な治療をしないと危険であるというわけにはいかず、被告のとった診療が一般開業医の程度のものであるとの鑑定人田中良憲の鑑定の結果(第二回)は、いずれも採用することができない。

(五)  以上の次第で、被告の前記診療契約上の債務の履行について右に述べた点において不完全で、結局留子を死亡するに至らしめた責任があり、被告はこれにより生じた損害につき診療債務の負担者として賠償すべき責任がある。

三、そこで、損害額につき判断する。

1、葬儀費用

≪証拠省略≫を総合すれば、留子(昭和一七年一二月二日生)は建設請負業を営む原告平井光輝と昭和四一年六月三日婚姻し、昭和四二年二月二七日長女である原告平井佐代を儲け、一家の主婦として内助の功を積んでいたが、前記のごとく死亡したものであって、その葬儀費用は夫である原告平井光輝が負担したこと、およびその葬儀費用額は原告平井光輝が請求している金二五〇、〇〇〇円を下らないことが認められる。

2、原告らの慰藉料

≪証拠省略≫によれば、最愛の妻を失った原告平井光輝の、慈母を失った原告平井佐代の、わが子を失った原告古味信義および同古味ヨシナロの精神的苦痛は甚大なものであることが認められ、諸般の事情を考慮すると右精神的苦痛を慰藉すべき額は原告平井光輝および同平井佐代につき各金一、五〇〇、〇〇〇円、原告古味信義および同古味ヨシナロにつき各金二五〇、〇〇〇円が相当であると認める。

3、弁護士費用

≪証拠省略≫によれば、原告らは、昭和四六年二月一五日本件訴訟の追行を弁護士藤原充子に委任し、着手金として合計金一〇〇、〇〇〇円(原告平井光輝および同平井佐代は各金四〇、〇〇〇円、原告古味信義および同古味ヨシナロは各金一〇、〇〇〇円)を支払い、勝訴の場合は判決認容額の一割を成功報酬として支払う旨約束したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はないが、本件訴訟の難易度、請求額、認容額等諸般の事情を考慮すると、本件死亡事故と相当な因果関係があり被告において賠償すべき額は原告平井光輝につき金一八〇、〇〇〇円、原告平井佐代につき金一五〇、〇〇〇円、原告古味信義および同古味ヨシナロにつき各金三〇、〇〇〇円が相当であると認める。

4、そうすると、被告は、原告平井光輝に対し前記葬儀費用金二五〇、〇〇〇円、慰藉料金一、五〇〇、〇〇〇円、弁護士費用金一八〇、〇〇〇円の合計金一、九三〇、〇〇〇円および右金額から弁護士費用額を控除した金一、七五〇、〇〇〇円に対する遅滞に陥った昭和四六年一月二日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告平井佐代に対し前記慰藉料金一、五〇〇、〇〇〇円、弁護士費用金一五〇、〇〇〇円の合計金一、六五〇、〇〇〇円および右金額から弁護士費用額を控除した金一、五〇〇、〇〇〇円に対する前同日以降完済に至るまで前同率の割合による遅延損害金を、原告古味信義および同古味ヨシナロに対し各前記慰藉料金二五〇、〇〇〇円、弁護士費用金三〇、〇〇〇円の合計金二八〇、〇〇〇円および右金額から弁護士費用額を控除した金二五〇、〇〇〇円に対する前同日以降完済に至るまで前同率の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

四、よって、本訴請求は前記認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藝保壽 裁判官 上野利隆 浦島三郎)

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